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エネドラさんの死に手向けて、再度ワートリ生死観を考える。 [本編持論]

ワタシはあまりワートリについては、シュールな見方はしてないんですが。今までは。
うーん、戦闘体という格好のカモフラージュで、首チョンも腕チョンも生身じゃあないし、出血もみないし…しかもベイルアウトさえすれば、基地に戻れ、無事無傷の実体に帰れるというさながら不死を連想させる世界観でここまですすんできました。
でも、ここで、<エネドラさんの死>という現実に誰もが直面(作中人物も読者も)し、<本当の死>が見えてしまった、というワートリストーリー上、かなり重要な場面なんじゃないか、とワタシは思いとどまってしまった訳です。
ネイバーとの戦いのなかでは、ボーダー隊員はまだ誰も命を落としていません。しかし、「エネドラさんの死」を目前にして、自分たちも命を落としてしまうかもしれない瞬間に生きているのだ、ということを意識します。
事実、今懸命に未来を変えようと、頑張っている迅さんが避けようとしているのは、「オサムの死」です。ここで、初めて「エネドラさんの死」が、「オサムの死」を暗示しているのでは?と思えてしまいます。死なない、という非現実世界で、一挙に、現実に引き戻される気がします。「やっぱり死はあるんだ」という緊迫感が作品全体を覆った瞬間です。
だからこそ、全てのボーダー隊員が命を張り始めたのが解ります。特に、ユーマはオサムのために、すでに
自分の命を投げ出して救おうとしています。(対黒トリ戦なのに、レプリカを手放した時点でユーマが自身の命を懸けて、オサムとチカを救おうとしてるのが伝わりますよね…。)
この作中には沢山の死が連鎖しています。ユーマの父、モガミさん、三輪さん姉、迅さん母、風間さん兄、生死不明のチカちゃん兄、チカちゃん友など…。また遠征組(1,2,3隊)は、遠征先のネイバーフッドで、より間近な死に直面し、その恐怖を十分実体験しているのでしょう。
仲間の手で、生身の身体を惨殺され、永久に命を奪われてしまったエネドラさん。その死は、実に多くのワートリ世界のキーワードを投げ掛けてくれた気がしてなりません。亡骸となった彼の全身の1コマは何んとも言えず、不憫です。あれだけの虚栄を張っても、命を無くせばもう抜け殻に過ぎず、体温も声も存在しません。
しかし、無謀な敵なのに、何だか憎めない、愛すべきエネドラさんでした、ワタシ的には。合掌。
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